アンリ・ロシュフォール Henri Rochefort

アンリ・ロシュフォール  Henri Rochefort

Photo by NAO KASHIMA(NOEMA INC.)

写真情報

作品番号:
68
撮影日:
2011/01/18
クレジット:
©NOEMA INC.JAPAN
カテゴリー:
人物(今日の人々)

アンリ・ロシュフォール(1831-1913 本名・アンリ・ド・ロシュフォール=リュケイ)はフランスの政治家・ジャーナリスト。劇作家でもあった貴族の父親アルマン・ド・ロシュフォールの命令で医学部に入るが、すぐに学業を蜂起し、パリ市役所職員となるかたわら「シャリヴァリ」に寄稿、独特の文体と才気で頭角を現す。第二帝政下、ヴィルメサンの「フィガロ」で花形記者となり、検閲が緩んだ1868年に「ランテルヌ」を創刊、大ヒットを飛ばすが、体制批判のかどで国外追放となる。1869年の立法議会選挙で当選、「ラ・マルセイエーズ」をリサガレーとともに創刊。ジュール・ヴァレス、パスカル・グルーセヴィクトール・ノワールを記者に迎える。ヴィクトール・ノワールがピエール・ボナパルトに殺害された事件で、反ナポレオン・キャンペーンを張り、革命の一歩手前まで行く。サント・ペラジー監獄にパスカル・グルーセ、オリビエ・パンとともに収監され、獄中で普仏戦争開戦の知らせを聞く。第二帝政崩壊後、国防政府の一員となるが、対プロシャ講和を拒否し、違和感を持ちながらもパリ・コミューンに参加。血の一週間の前にパリから脱出するも逮捕され、パスカル・グルーセ、オリビエ・パンとともにニューカレドニアに流刑となるが、グルーセ、パンとともに脱走、小船で迎えにきたシャルル・バスティアン、アシル・バリエール、フランソワ・シュードの助けを借りて脱獄に成功、オーストラリア、アメリカを経てロンドンに到着、コミューンの亡命者たちと合流する。1880年、ガンベッタの尽力で恩赦が決まると、フランスに帰国、熱狂的な歓迎を受ける。第三共和政下では「アントランジャン」で極左派の論陣を張るが、ブーランジェ将軍が現れると、熱烈な支持者となり、ブーランジストの連合体である「愛国者同盟」の議長となる。1889年、将軍が失墜すると、ともに有罪判決を受け、パリから追放される。ドレーフュス事件では熱烈な反ドレーフュス派となる。第一次大戦前夜に没したときには、ほとんど国葬並の参列者が亡骸をモンマルトル墓地に見送った。
出典 週刊絵入り新聞『レ・ゾム・ドージュールデュイ(今日の人々)』 Les Hommes d'aujourd'hui(1878-1899) 第68号 発行者・サンカルブル 発行日・記載なし 画・アンドレ・ジル。 文・ピエール&ポール

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